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甲子園の土は最初に持ち帰ったのは誰?どこの土を使用しているの?

   

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夏の一大イベントといえば高校野球。
毎年みていて毎年感動してしまう。

そんな感動シーンでも一際グッときてしまうのが、

負けて涙を流しながら甲子園の土をスパイクを入れる袋に入れてる場面。


高校球児の伝統として憧れの甲子園に出場し記念として持って帰る土。

一生の宝ものになるんでしょうね。


で。。。気になるのがその土。


一体いつから持ち帰るようになったのか?
誰が最初に持ち帰ったのか?

甲子園の土はどこの土なのだろう。。。なくならないのかな。。。

などと疑問に思ってしましました。



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◆甲子園の土は誰が持って帰り始めたんですか?



甲子園の土を持ち帰る選手達にはとても感動をおぼえます。

しかし甲子園の土は誰が最初に持ち帰ったのか?誰?なんでしょう?


調べてみるとどうも3つの諸説があるようです。


①1937年の夏の大会。

川上哲治(のち読売ジャイアンツ監督)は決勝戦で敗退。
そこで甲子園の土をユニフォームのポケットに入れ自校の練習場にまいた。

②1946年の夏の大会。

準決勝にて敗れた東京高等師範付属中(現筑波大付属高)の選手が
来年また甲子園に戻ってくるという意味を込め持ち帰った。

③1949年の夏の大会。

準々決勝で敗れた小倉北高(現小倉高)の福島一雄投手が
足元の土を摘んでズボンの後ろポケットに入れて持ち帰った。
(これは無意識の行動で後に手紙で知ることになる)



このように甲子園の土を初めて持ち帰った人は、はっきりとはわかりません。
誰が一番最初かは不明なのです。

一案古い説である川上哲治さん以前より、持ち帰る風習はあったそうです。


ですが。。。

甲子園の土を持ち帰る伝統のきっかけとなった出来事があります。


1958年の夏の大会。

沖縄の高校として初めて出場した首里高校。

首里高校は1回戦で敗退し甲子園の土を袋に入れて持ち帰ることに。。。

しかし沖縄は当時アメリカ領だったため、
アメリカの法律により持ち込み不可能という理由から海に捨てられてしまいました。


この出来事が新聞で大きく取り上げられて以降
風習は伝統に変わったと言われています。


◆甲子園の土って毎回持って帰っていますけどなくならないの?



敗れた球児たちが土を持って帰るのは甲子園の恒例。

甲子園の土は毎試合後持って帰ってりますよね?
あの土なんで無くならないの?なんて思いませんか?


甲子園の土は無くならないのかというと

まず言えることは球場にある全ての土の量から見ると
選手たちが持ち帰る量はごくわずかになるので大丈夫なのです。

また、土の補充もちゃんと行われています。


土の補充は頻度としては2年に一度。

補充時期は暮れから正月にかけてのシーズンオフ期間に実施されます。


ちなみに持ち帰り量について規定は定めていないんです。
それに敗者が持ち帰る印象がありますが勝っても持ち帰るんですよ。

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◆甲子園球場の土って元はどこの土なの?



さて補充されることがわかった甲子園の土。

あの土はどこの土?なのでしょう?


甲子園の土は黒土と白砂のブレンドでできています。


・黒土の産地

岡山県日本原
三重県鈴鹿市
鹿児島県鹿屋
大分県大野郡三重町
鳥取県大山

などの土をブレンドしていて毎年決まっているわけではありません。


・砂の産地

甲子園浜及び香櫨園浜社有地
瀬戸内海産の砂浜
中国福建省

砂の産地の場合は場所が変わってきて今現在は中国福建省とのこと。


◆まとめ



以上が甲子園の土について私が疑問に思っていたことです。
ちなみにお土産に購入できないのか?と聞いてみると、

売店では販売していないとのこと。

結構ニーズがあるみたいで売ってくだいと言われるそうですけど、
販売予定はないそうです。

しかし、この間土が入ったキーホルダーが無料配布されていましたね。


販売して欲しいですよね。

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